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大阪地方裁判所 昭和37年(む)253号 決定

被疑者 十河正市

決  定

(被疑者氏名略)

右の者に対する暴力行為等処罰に関する法律違反、監禁致傷、暴行被疑事件について、昭和三七年九月一五日大阪地方裁判所裁判官小川四郎がなした勾留請求却下の裁判に対し、同日大阪地方検察庁検察官長谷部成仁より準抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件申立はこれを棄却する。

理由

一、検察官の準抗告申立の要旨は次のとおりである。即ち、

(一)  被疑者に対する逮捕手続に違法、不当な点がなかつたことは通常逮捕手続書及び逮捕者小山陽一作成の捜査復命書等により明らかであつて、これら資料によれば本件逮捕の際被疑者に逮捕状を示したこと及び逮捕後直ちに被疑事実を読み上げてこれを告知し弁解を求めたことが認められるから、逮捕の手続が不当であるとの理由で勾留請求を却下した原裁判はいちじるしく判断を誤つたものである。

(二)  被疑者が罪証を隠滅する虞れがあることは一件資料により明らかである。即ち、本件監禁致傷事件は十数名の内田洋行労働組合員らと共に敢行した組織的な集団暴行事件であつて、本件被害者らの取調により罪体に関する事実はほぼ明らかとなつたが、本件犯行に関与した共犯者については被疑者ら数名が確認されただけで、その他の共犯者(首謀者の特定)とその具体的行動、出入口の阻止や電話連絡の遮断されるに至つた状況等は何ら明らかにされていない。又右事件以外の事犯も被害者らは被害状況の一部を目撃しているのに過ぎず共犯者と犯行の全貌はまだ明らかにされていない。そしてこれらの諸点は今後被疑者らを含めた組合側関係者多数の取調にまたなければならないのであるが、大阪地連及び組合側上部では本件の検挙をおそれて組織の統制力によつて組合員に対し本件に関して厳重な緘口令を出し、取調に対しても出頭拒否ないし供述拒否を指示する等組織的捜査妨害に出ているため、組合側参考人で取調に応じた者が一人もいないばかりでなく被疑者らも互に黙秘している。被疑者らが組合内において指導的地位にあつてこのような捜査妨害行為に影響を及ぼしうるような立場にある場合には被疑者らが現在なお罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるものというべく、かかる場合には一般組合員から被疑者らを隔離すると同時に共犯者たる被疑者ら相互をも隔離して捜査をすすめなければ事案の真相を究明することは至難である。

(三)  以上のとおり本件逮捕手続に違法不当はなく、かつ罪証隠滅の虞れがあるから、原裁判官のなした勾留請求却下の裁判は直ちに取消され、被疑者に対する勾留状を発付さるべきものと思料する

というのである。

二、当裁判所の判断は次のとおりである。

(一)  大阪地方検察庁検察官が被疑者に対する暴力行為等処罰に関する法律違反、監禁致傷、暴行被疑事件につき、大阪地方裁判所裁判官に対し被疑者の勾留請求をしたところ、同裁判官小川四郎が逮捕の手続が不当であるからとの理由で右請求を却下したことは記録により明らかである。

(二)  先ず逮捕の手続に不当な点があつたかどうかについて判断するに、検察官提出の疏明資料及び証人小山陽一の証言によると、本件逮捕の手続に違法、不当な点はなかつたものと認めるのが相当である。

(三)  そこで被疑者の勾留の理由及び必要の有無について判断するに、検察官提出の疏明資料に徴すると、被疑者が勾留請求書に被疑事実として示してある罪を犯したことを疑うに足る相当な理由があることを認めるに十分であるし、被疑者が刑事訴訟法第六〇条第一項第一号、第三号のいずれにも該当しないことは明らかである。

(四)  そこで被疑者が同条第二号に該当するかどうかについて判断する。

検察官提出の疏明資料によると、本件監禁致傷事件の当日である七月二五日の晩及び翌二六日朝の二回にわたり、大阪地連執行委員において、右事件の犯行場所である内田洋行大阪支店内に泊りこんでいた組合員に対し、右事件に関し緘口令を出し、取調に対しても出頭拒否ないし供述拒否、黙秘権の行使を強く指示し、二五日には「もし警察にしやべれば組合員の裏切行為として総評が黙つておらんぞ」と言つていること、二六日には右指示の際右執行委員の外被疑者も同席していたこと、大阪地連執行委員において組合員に対し、「もめごとになつた場合手を振り上げて殴つたりするな。腰より下の目の届かぬところで突いたり蹴つたりすることはかまわん。」と指示していること、大阪地連所有の内田洋行の斗争経過に関する日記の一部が破棄された形跡があること、被疑者として呼出を受けたものは大阪地評の方で決定した出頭の時期、取調を受ける時間を守り、取調に際し全面的に黙秘していること、組合側参考人は警察の呼出しに全く応じないという態度を示していることがいずれも疏明されている。そしてこれらの事実を総合すると、右大阪地連執行委員の一連の行為は、組合の組織的統制力を利用してその影響力により組合員個人の自由意思を不当に圧迫し、被疑者ら及び参考人らの捜査当局に対する出頭或いは供述の自由を妨げ、事案の真相調査を困難ならしめる意図の下になされたものと推測されないことはない。しかし右事実からも明らかなように内田洋行の組合員に対し直接証言拒否等を指示し、或いは証拠物を破棄し、もしくは被疑者ら参考人らに対する出頭の規制を行つたのはいずれも被疑者でなくて内田洋行労働組合の上部組織である大阪地連等の委員であるばかりでなく、右事実と検察官提出の資料によりうかがえる同組合が成立後僅か一年余の新しい組合で本事件発生当時行われていた同組合の労働争議においてその指導が殆んど大阪地連執行委員によつてなされている状況とをあわせ考えると、被疑者は一応同組合の書記長の地位にあるとはいえ、右証言拒否指示等の一連の行為においては単に上命下達の連絡機関にすぎなかつたとうかがわれないことはなく、その他資料を検討しても被疑者が特にこれらの行為に積極的に関与しこれに実質的影響を及ぼしうる立場にあつたと認めるに足る資料は十分でない。

もともと捜査段階における勾留は、被疑者の身柄を確保するとともに、被疑者を共犯者及び事件に関係ある参考人から隔離して被疑者からこれら共犯者、参考人らに対し不当な影響を及ぼすことを防止し、一方被疑者に対し他から不当な影響を及ぼさないようにして事案の真相究明のための障害を除くことを目的としていると考えられ勾留の要件として刑事訴訟法第六〇条第一項第二号に「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」と規定されているのもこの趣旨と解せられるから、被疑者が右条項に該当するか否か及び勾留の必要性を判断するに際しては右趣旨を当然考慮すべきであり、被疑者を勾留することによつて右真相究明のための諸障害の全部又は一部が除かれる事情が具体的に存しないときにはたとえ被疑者が右条項に該当するとしても勾留の必要性がないといわなければならない。

これを本件についてみると、被疑者の属する組合の上部組織によつて前述のような証言拒否の指示等の罪証隠滅的一連の行為が既に相当行われしかもなお現在継続されているとうかがわれないことはなく被疑者がこれらの行為に実質的影響を及ぼしうる立場にあつたと認められる資料が十分でない以上、被疑者を勾留しても右行為が中止されて共犯者や組合側参考人(被害者側の参考人に対しては被疑者の方から圧迫を加えた形跡が全くないので論外とする)に対する不当な圧迫を遮断することは殆んど期待されない(組合執行委員長等共犯者の一部も既に勾留されているし、その他被疑者を拘束する以外の適当な手段によつて他の共犯者組合側参考人に対する圧迫を遮断することは可能である)。又、被疑者が勾留されることにより被疑者に対する他からの不当な圧迫が遮断されることは考えられるが、被疑者において法律上許容された黙秘権の行使を明らかにしている以上(本件資料にあらわれている被疑者の捜査官に対する反抗的強硬な態度に徴すると、右黙秘権の行使は他からの圧迫によるものでなく、自発的意思に基くものと認める外はない)その自白を求めてみだりに被疑者を追求することは自白の強要となるであろうし、被疑者の取調を主たる目的としてこれを勾留することは行き過ぎというべきであろう。(共犯者の行動に関する供述を求めるため強制的手段をとることの許されないことはいうまでもない)

そうすると、結局被疑者を現段階において勾留することは前記のごとき勾留の目的のいずれにもそわないことは明らかであるから、被疑者に若干罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとしても勾留の必要がないことに帰する。

(五)  以上説示のとおり、被疑者が刑事訴訟法第六〇条第一項第一号第三号のいずれにも該当せず第二号に該当するとしても勾留の必要がないと認められるから、本件勾留請求はこれを却下するのが相当であり、従つて右請求を却下した原裁判はその理由において異るけれども結局正当であるから、本件申立はいずれも理由がなく、刑事訴訟法第四三二条、第四二六条第一項に従い、本件申立を棄却すべきものとして主文のとおり決定する。

(裁判官 西尾貢一 武智保之助 蒲原範明)

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